「将来何になるの?」
大学3年生にもなると、将来のことを聞かれる機会が格段に増える。
「どんな職に就くの?」
「何になりたいの?」
聞き飽きた、、、、。
でもまあこれは、挨拶みたいなもので。
相手もそんなに興味があるわけではないはず。
だからこそ、なんと答えていいのか困る。
「何になるの?」
と聞かれても、先生、医師、美容師、、、など名前がつけられた職業なんて限られている(と私は思う)。
ひとことで表せる職に就いている人の方が少ないのではないか。
先日、小学生の頃からお世話になっている美容師さんに
「将来何になるの!?」と言われた。
私が実家を出て大学に行き、さらには留学するということで、さぞすごいものを目指しているんじゃないかという期待が込められた一言だった。
しかし私は、ある程度の将来のビジョンはあるものの、ひとことで表せるものでもなく、さらに相手もダラダラと私の人生計画を聞きたいわけではなかろう。
ということでいつものように、
「まだ決まってないですね~民間企業ですかね~」と決まりきった定型文で返す。
すると、
「もったいない!英語使いなよ!翻訳とかしないの??」
と言われる。
こちらもお決まりの返事。
国際関係学を学んでいて、留学の予定があると伝えると
多くの人はすぐ「英語」に結びつける。
あながち間違ってはいない。
しかし翻訳は訳が違う。
文学が好きだと言った覚えは1度もないぞ。
さらには、翻訳家になりたいと言ってもいないのに、
「Google翻訳があるから、翻訳家の仕事もなくなるね。」
と、なぜか哀れみの言葉をいただく。
そう簡単に翻訳家の仕事がなくなるはずがない。
単純な日本語訳だけではなく、そこに込められた感情を読み解いた後に、それに合った日本語を見つけるのが、翻訳家の仕事である。
話が逸れたが、何が言いたいかって、
別にわたしは将来のために今を生きているんじゃないということ。
留学したから英語を使う仕事に就かなきゃもったいないのか?
私はただ学びたいだけだ。
様々な人と話している中で、
人生のゴールが「就職」の人が多すぎる気がする。
「何のために勉強するの?」「いい高校に入るため」
「何のためにいい高校に入るの?」「いい大学に入るため?」
「何のためにいい大学に入るの?」「いいところに就職するため」
小さい頃からの疑問を辿ると、結局は就職のために今まで生きてきたのか?と疑問を抱かざるを得ない。
何のために生きているか、なんていう無意味な質問は好きではないが、
今が楽しければいいのに、
今やっていることの理由は
ただ「やりたいから」なのに、
なんてことを考えている。
私の考えや現状を話したあとに、
「将来何になるの?」
と聞かれたときには。
でも、こんな1000文字にも渡る考えを、
わたしの将来にさほど興味がない相手に伝える訳もなく、
「まだ決まってないですね~民間企業ですかね~」といつものように答える。